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JAPAN OKINAWA TODAY

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最低限知っておくべき沖縄の歴史の流れ。知っておくだけで沖縄観光に深みが出る。

Posted on 2023年1月4日2023年1月7日 By udaseiichirou@gmail.com
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正月中は、沖縄も政治的なニュースも少なく、ネタもないので、最低限知っておくべき沖縄の歴史をまとめておきたいと思う。
私自身、歴史の専門家でもなく、どちらかといえば、歴史は苦手だ。
なので、何年に誰が何をして、どうなったかなどの、解説などはせず、琉球王朝前から現在に至るまでの、沖縄で起こった主要なことだけを書いておこうと思う。

また、こういった沖縄の歴史の流れを知っておくだけで、これから沖縄へ旅行へ行かれる方は、世界遺産や史跡を巡った時に、少しだけ深く理解することができるだろうと思います。
そして、意外と沖縄の方でも、ぼんやりとしか理解していない方も時々いるので、そういった方にとっても最低限知っておくべき、歴史の流れを書いておきたいと思います。
あまりにも簡単に書いているので、専門の方からすると補足が必要だったり、歴史観的には違うというご意見もあるかと思いますが、ご了承ください。ただ、明らかに間違っている場合は、ご連絡ください。訂正いたします。

 

大きな流れ

グスク時代(三山時代) 14世紀頃
↓ 
琉球王朝時代 第一尚氏 1429年
↓
琉球王朝時代 第二尚氏 1449年
↓
沖縄県(薩摩・明治時代)1879年
↓
太平洋戦争 1940年
↓
アメリカ統治時代 1945年
↓
沖縄復帰(現在) 1972年

これららを、少しだけ簡単に説明しておく。

グスク時代(三山時代) 14世紀頃

沖縄本島には、14世紀頃まで、300もの城があって、それぞれに王様がいて、長年、勢力争いがありました。なので、沖縄にはいまだに詳細不明な城跡があっちこっちにあります。

14世紀になって、徐々に勢力が統一され、北部と中部と南部の3つの地域の勢力の争いとなっていきます。
この時代が、三山(さんざん)時代と呼ばれています。
『北山』『中山』『南山』の三つ。
北部の拠点は世界遺産に登録されている、今帰仁城址。
中部の拠点は、浦添市にある「浦添ようどれ」。
南部の拠点は南城市の大里。

三山時代
ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B1%B1%E6%99%82%E4%BB%A3

そして、最終的に中山の『尚 巴志(しょう はし)』さんが天下をとり、琉球王朝がスタート。
尚巴志さんですが、出身は南山ですが、いろいろ複雑な争いがあり、中山のトップになって、最終的に琉球王朝のトップになってます。

琉球王朝時代 第一尚氏 1406年-1469年

浦添にあった、拠点を首里にお引越し。琉球王朝を確立させた。それが首里城。
江戸時代の徳川家のように、尚家が琉球王朝を400年以上統治していたのではなく、尚巴志さんスタートの「尚家」は63年間だけで終わってます。

琉球王朝時代 第二尚氏 1469年-

伊是名島の百姓出身の金丸さんって方が、琉球王朝の親族に仕えるようになって、王朝の中で出世。
首里に来てたらの名前は、尚円(しょうえん)さん。
第一尚氏が、親族内でゴタゴタも揉めていたので、尚円さんがクーデターを起こして、初代の尚家を追い出し、王座につきました。
そして、19代にわたり、本土の明治時代まで統治していきます。

この間に、あったこととして、『琉球侵攻』。1609年に、薩摩藩が兵を引いて琉球侵攻をして、琉球は敗北。薩摩藩の配下となっている。
薩摩藩は那覇に、奉行所を設置して、琉球王国を間接支配する形をとっていた。また、中国(当時は明朝)との関係は、朝貢(ちょうこう)関係。
定期的に使節を明朝に派遣して、貢物などを行うことで、明朝に従属的な関係を前提に、王国として認められていた状態。

ただ、琉球王国は「琉球藩」ではなかったのだが、定期的に大名行列のような感じで、江戸まで出向いていました。
これを、江戸上り(えどのぼり)と言いますが、沖縄を出発して大阪に上陸。陸路で江戸まで行っていたとのこと。

大阪に上陸する時は、大阪では大騒ぎだったとのこと。
とにかく、大人気!本土とはちょっと文化の違うハイカラな人たちがやってきて、さらに、目鼻立ちのクッキリした男前がいっぱい来るということで、ブロマイド的なものまでが大阪で出回っていて、かなりの人気だったそうだ。
江戸では1〜2ヶ月滞在していたとのこと。

また、琉球王国は奄美列島から石垣、与那国あたりまでが勢力域であったが、薩摩の琉球侵攻後、奄美地域は薩摩の管轄地域となっていました。

 

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沖縄県へ(薩摩・明治時代)琉球処分 1879年

琉球王国から沖縄県になる前に、琉球王国は正式に『琉球藩』となる。
その後、明治政府によって廃藩置県が行われて、琉球も他府県とは遅れて、沖縄県になるのだが、明治政府の通達を無視して、清国(中国)に対しては、いままで通り王朝として付き合っていたので、明治政府が怒って、王朝最後の尚泰(しょう たい)さんを、強制的に東京への移動を命じた。
これが1879年の琉球処分。
ここで事実上、首里城を明け渡したことで琉球王国は終焉。
そして、同年に沖縄県が正式に設置された。

時々「明治政府が武力を背景に琉球王朝を脅し、首里城を明け渡させた」と、本土批判に利用される方もいるが、武力の利用はもちろんなく、尚泰王も、尚家の印鑑を持って、首里城を明け渡している。もちろん、明け渡す際には辛い選択だっと想像するが。

また『処分』とは言え、尚家が殺されたり、牢屋に入れられたわけではなく、そもそも『琉球藩』になった時点で、尚家は華族扱いになっており、すでに東京に侯爵(こうしゃっく)邸がありそこに移っただけでもある。
また、国王という立場であり、他の大名よりも格上の扱いとなっていた。

琉球の廃藩置県が、他の藩とは時期も異なっていたことで「琉球処分」という言葉が使われているが、廃藩置県の際、明治新政府に批判的な藩などに対しても、強制的に従わせていたこともあり、琉球だけが特別、厳しい処分を受けたというのも少し意味合いが違うのではないかとも思われる。

また、琉球王朝末期は、日本にペリー(黒船)が入る前に、琉球へ入り、開国を迫り、貿易協定などを結ばされ、事実上、米国の植民地化が進みかけていた。清国に助けを求めたが、すでに清国も欧米の植民地化への餌食となりはじめ、アヘン戦争などもあり大混乱で、琉球からの助けなどできない状態。

また、琉球王朝の統治もガタついていて、石垣や宮古などは、納税などの不満が溜まり、江戸に琉球王国をなんとかして欲しいと陳情するようなこともあった。

尚家の方々は、現在も本土におられ、現在は23代目の尚衞(しょう まもる)さん。(三重県在住)
沖縄にも度々こられ、交流も盛ん。
琉球王国時代の資料などを沖縄県や那覇市に寄贈するなどした場合、沖縄でニュースになることもある。
ここ最近、政府批判をする人たちが、この『琉球処分』を日本政府が強引に琉球王国を廃止して、無理やり沖縄県にした、という方もいるが、ちょっとニュアンスが違っていて、それなりの手続きを経ていることと、琉球全体の統治で問題あったことや、外国勢力との関係、当時の清国(中国)との関係など、琉球王朝自体が独自で存続することが厳しくなっていた背景など、様々な事情もあって沖縄県となっています。

 

太平洋戦争 沖縄戦 1940年-

沖縄県となり、明治、大正、昭和と、行政や教育など、本土と同じ体制となる。
そして、1940年に始まった太平洋戦争。
1945年、日本が劣勢となって、本土への空襲も激しくなり始めていた時と同じ時期、米軍は1945年3月26日に、多良間列島(渡嘉敷島とかのある所)に上陸。
4月1日に、読谷に上陸。
4月中には、北部を制圧。
6月22日頃には南部の制圧。
事実上、6月23日に沖縄の地上戦は終了。
沖縄にとって6月23日が終戦の日。慰霊の日として、学校なども休みとなり、毎年、総理大臣も出席して糸満の平和祈念公園で式典も行っている。
沖縄戦の経緯
内閣府サイトより
https://www8.cao.go.jp/okinawa/okinawasen/gaiyou/gaiyou.html

アメリカ統治時代 1945年-

日本は戦争に負け終戦。
奄美以南がアメリカ統治下となる。
終戦から8年後の1953年に、与論島より北は返還。
以南は、1972年まで27年間アメリカに統治される。

アメリカ配下で、琉球政府が設置される。
琉球政府は三権のある行政ではあったが、その上に米国の『民政府』が設置さていており、民政府が絶対的な権力を持っていた。

アメリカ統治時代に、強制的に土地が摂取され、嘉手納基地や普天間基地など、県内に数々の米軍基地が設置された。
(日本軍が基地として使用していた場所もある。)
また、『民政府』による沖縄県民への様々な抑圧や人権問題が多発しており、後々、本土復帰の気運が高まっている要因のひとつとなっている。

通過は米ドル。(1958年までは、B円というの通貨が使われていた。)

1965年、佐藤栄作首相が沖縄に訪問し、「沖縄が日本に復帰しない限り、戦後は終わらない」と発言。
沖縄内も米軍の様々な事件、さらにベトナム戦争に対する反戦運動などの時代背景もあり、本土復帰の気運が高まり、1968年、佐藤栄作とニクソン大統領との間で、沖縄返還が約束され、1975年5月15日に返還。

沖縄復帰(現在) 1972年

返還後主にあった出来事として、ドルから円に戻ったことや、1978年に道路が右側通行から左側通行に変わった日を『730(ななさんまる)』と呼ばれ、今でも当時のことがテレビなどでも語られている。石垣市の中心の交差点に「730」の記念碑などもあります。

主な出来事
1975年-76年 沖縄国際海洋博覧会開催
1987年沖縄自動車道開通
2002年 沖縄美ら海水族館が開館。
海洋博覧会の海洋生物展示を引き継ぎ、1979年に水族館が開館。2002年にリニューアルして沖縄美ら海水族館が開館。
ちなみに、併設している「オキちゃん劇場」の、バンドウイルカのオキちゃんは、海洋博覧会の時からずっと現役。現在推定年齢49歳。
2003年ゆいレール(沖縄都市モノレール)開業。2019年てだこ浦西駅まで延長。

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関連

沖縄の歴史 Tags:730, B円, ゆいレール, アメリカ統治, オキちゃん劇場, ニクソン大統領, 三山時代, 中山, 今帰仁城址, 佐藤栄作, 北山, 南山, 尚円, 尚巴志, 慰霊の日, 歴史, 民政府, 江戸上り, 沖縄, 沖縄世界遺産, 沖縄地上戦, 沖縄本土復帰, 沖縄返還, 浦添ようどれ, 琉球, 琉球侵攻, 琉球処分, 琉球政府, 琉球王国, 琉球王朝, 琉球藩, 第一尚氏, 第二尚氏, 簡単, 簡単説明, 美ら海水族館, 首里城

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大阪出身、沖縄在住(約12年)50代の男性です。
沖縄の情報や政治を中心に日々思い感じることを綴っていきます。
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