昨日は沖縄の終戦記念日に当たる慰霊の日であった。
毎年、沖縄全戦没者追悼式が糸満市摩文仁の平和祈念公園で行われる。
例年は多くの総理大臣や県内外の様々な方、米軍関係者も式典に参加しているが、昨年からコロナの影響により、30名程度で行われ、今年も総理大臣の出席はなくビデオメッセージが流れた。
この沖縄全戦没者追悼式では、知事や総理大臣、遺族会の代表などによる宣言が行われる。
基本的スタンスとして政治的思想信条は持ち込まず、過去の戦争や戦没者への言葉、今後の沖縄の発展と平和に向けたメッセージを行なってきた。
常に保革で二分される沖縄において、唯一と言える政治的思想信条を持ち込まず、様々な立場の人が合同で戦没者を弔うことのできる、年に一度の場所である。
時の政治家によって、基地の現状や未来に向けた内容には、政治的主張が入ることはあるが、それは決して対立する相手を批判するものではなかった。
また、招待された参列者ではなく、一般の人や反基地の市民団体などが、総理大臣の宣言中に罵声をあげるなどの問題行為はあったの事実だ。
しかし、公人が誰かを批判することはタブーとされてきた。
そのタブーを破ったのが、前翁長沖縄県知事。
亡くなられた方の批判は躊躇するが、歴史の事実として記しておきたい。
オスプレイ、辺野古反対の立場で2014年に沖縄県知事となった翁長雄志氏。
翌年の6月、沖縄県知事として初めて参列。
とは言え、沖縄県が主催であるので、開催者の代表である。
辺野古反対の立場で、沖縄県と日本政府とが対立し、何度か、沖縄や東京でも会談が行われたが、その都度、全国ニュースでも大きく取り上げられるほど対立は激しかった。
菅幹事長(当時)と会談で「粛々と工事を進めていきたい」と菅幹事長が言った言葉に、翁長知事が「上から目線」と猛烈に批判したことは大きなニュースとなった。
そんな中で行われた沖縄全戦没者追悼式での翁長知事の宣言にも注目が集まった。
この2015年の宣言の中で、翁長知事は、
安全保障問題や選挙での民意、辺野古作業の中断要望などを盛り込み、
「国民の自由、平等、人権、民主主義が等しく保障されずして、平和の礎(いしずえ)を築くことはできない」と政府を痛烈に批判。
そして、翌年、翌々年と政府批判を続けた。
(文末に全文を記しておきます。)
2015年の時には、翁長知事に同調する基地反対派の人から拍手が送られ、安倍前総理の宣言の時には罵倒が飛んだ。
2018年の時には、ガンでやせ細った翁長知事の姿に基地反対派の方々は、涙を流し聞いていた。
また、沖縄のマスコミも辛い体調の中、懸命に基地反対を訴える翁長知事の宣言を英雄のように報道していた。
しかし、産経新聞など一部のメディアでは、このような場で政治的な主張をすることは望ましくないとの一般のインタビューが出ていたのは事実だ。
様々な主張があることは当然のことである。
しかし、戦没者を弔う場所で、政治的に対立する相手を批判するような言動は人として言語道断であると私は思う。
自分の親の葬儀で、誰かが誰かの悪口を言うものがいたとし、敵味方は関係なく単純に不快なものである。
誰しも意識が死者に向いている時に、別のしかも悪意を持った方向に意識が向いているというのは、単純に死者を弔う気持ちがないということだろう。
この時の翁長前知事に関しては、実際、沖縄県内で様々な意見があることが分かった上での宣言であり、到底、戦没者に対して弔う配慮が大きく欠落していたと言わざるを得ない。
現在、玉城デニー知事となり、翁長知事ほどの政府批判はなくなったが、それに対して琉球新報では、翌日の社説で、「辺野古の新基地建設断念を政府に全く求めなかった。」と批判している。
琉球新報も結局は追悼式を政治利用しているとうことだろう。
<社説>「慰霊の日」平和宣言 基地削減 決意伝わらない
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1343278.html
基地問題には様々な意見がある。
しかし、沖縄県民、政治的な主義主張や宗教的思想など関係なく、誰ものが戦没者に祈り、それぞれの立場で心の中で平和願う場所であって欲しいと切に願う。
下記に過去の翁長知事の平和宣言全文を掲載しておく。
2015年翁長雄志知事の平和宣言全文
70年目の6月23日を迎えました。私たちの郷土沖縄では、かつて史上稀に見る熾烈な地上戦が行われました。
20万人あまりの尊い命が犠牲となり、家族や友人など愛する人々を失った悲しみを、私たちは永遠に忘れることができません。それは私たち沖縄県民が、その目や耳、肌に戦のもたらす悲惨さを鮮明に記憶しているからであり、戦争の犠牲になられた方々の安らかであることを心から願い、恒久平和を切望しているからです。
戦後、私たちはこの思いを忘れることなく、復興と発展の道を力強く歩んで参りました。しかしながら国土面積の0.6%に過ぎない本県に日米安全保障体制を担う米軍専用施設の73.8%が集中し、依然として過重な基地負担が県民生活や本県の振興開発にさまざまな影響を与え続けています。
米軍再編に基づく普天間飛行場の辺野古への移設をはじめ、嘉手納飛行場より南の米軍基地の整理縮小がなされても、専用施設面積の全国に占める割合は0.7%しか縮小されず、返還時期も含め、基地負担の軽減とはほど遠いものであります。
沖縄の米軍の基地問題は我が国の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべき重要な課題であります。特に普天間飛行場の辺野古移設については昨年の選挙で反対の民意が示されており、辺野古に新基地を作ることは困難であります。そもそも私たち県民の思いとは全く別に強制接収された「世界一危険」といわれる普天間飛行場の固定化は許されず、その危険性除去のため「辺野古に移設する。嫌なら沖縄が代替案を出しなさい」との考えは到底、県民には受け入れられるものではありません。国民の自由・平等・人権・民主主義が等しく保障されずして、平和の礎を築くことはできないのであります。
政府においては固定観念に縛られず、普天間基地を辺野古に移設する作業の中止を決断され、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直されることを強く求めます。一方、私たちを取り巻く世界情勢は地域紛争やテロ、差別や貧困が基となり、多くの人が命を落としたり、人間としての尊厳が蹂躙されるなど、悲劇が今なお繰り返されています。このような現実にしっかりと向き合い、平和を脅かすさまざまな問題を解決するには、一人一人が積極的に平和を求める強い意志を持つことが重要であります。
戦後70年を迎えてアジアの国々を繋ぐ架け橋として活躍した先人たちの万国津梁(しんりょう)の精神を胸に刻み、これからも私たちはアジア太平洋地域の発展と平和の実現に向けて、努力して参ります。未来を担う子や孫のために誇りある豊かさをつくりあげ、時を超えていつまでも子供たちの笑顔が絶えない豊かな沖縄を目指します。慰霊の日にあたり、戦没者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、沖縄が恒久平和の発信地として輝かしい未来の構築に向けて全力で取り組んでいく決意を、ここに表明します。
2016年翁長雄志知事の平和宣言全文
太平洋戦争最後の地上戦の行われた沖縄に、71年目の夏が巡ってまいりました。
沖縄を襲った史上まれにみる熾烈(しれつ)な戦火は、島々の穏やかで緑豊かな風景を一変させ、貴重な文化遺産のほとんどを破壊し、二十数万人余りの尊い命を奪い去りました。私たち県民が身をもって体験した想像を絶する戦争の不条理と残酷さは、時を経た今でも忘れられるものではありません。
この悲惨な戦争の体験こそが、平和を希求する沖縄の心の原点であります。
戦後、私たちは、この沖縄の心をよりどころに、県民が安心して生活できる経済基盤を作り、復興と発展の道を懸命に歩んでまいりました。しかしながら、戦後71年が経過しても、依然として広大な米軍基地が横たわり、国土面積の0・6%にすぎない本県に、米軍専用施設の約74%が集中しています。広大な米軍基地があるがゆえに、長年にわたり事件・事故が繰り返されてまいりました。今回の非人間的で凶悪な事件に対し、県民は大きな衝撃を受け、不安と強い憤りを感じています。
沖縄の米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題であり、日米安全保障体制の負担は国民全体で負うべきであります。
日米安全保障体制と日米地位協定の狭間(はざま)で生活せざるを得ない沖縄県民に、日本国憲法が国民に保障する自由、平等、人権、そして民主主義が等しく保障されているのでしょうか。
真の意味での平和の礎(いしずえ)を築くためにも、日米両政府に対し、日米地位協定の抜本的な見直しとともに、海兵隊の削減を含む米軍基地の整理縮小など、過重な基地負担の軽減を先送りすることなく、直ちに実現するよう強く求めます。
特に、普天間飛行場の辺野古移設については、県民の理解は得られず、これを唯一の解決策とする考えは、到底許容できるものではありません。
一方、世界の国々では、貧困、飢餓、差別、抑圧など人命と基本的人権を脅かす、多くの深刻な課題が存在しています。
このような課題を解決し、恒久平和を実現するためには、世界の国々、そして、そこに暮らす私たち一人一人が一層協調し、平和の創造と維持に取り組んでいくことが重要であります。
私たちは、万国津梁(しんりょう)の鐘に刻まれているように、かつて、アジアや日本との交易で活躍した先人たちの精神を受け継ぎ、アジア・太平洋地域と日本の架け橋となり、人的、文化的、経済的交流を積極的に行うよう、今後とも一層努めてまいります。戦争の経験が息づく沖縄に暮らす私たちは、過去をしっかりと次の世代に継承し、平和の実現に向けて貢献を果たす上で大きな役割を担っているのです。
本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全ての方々に心から哀悼の誠を捧げるとともに、平和を希求してやまない沖縄の心を礎として、未来を担う子や孫のために、誇りある豊かさを作り上げ、恒久平和に取り組んでいく決意をここに宣言します。
2017年翁長雄志知事の平和宣言全文
72年前、ここ沖縄では、住民を巻き込んだ激しい地上戦が繰り広げられました。昼夜を問わない凄(すさ)まじい空襲や艦砲射撃により、自然豊かな島の風景、貴重な文化遺産、そして何より尊い20数万人余りの命が失われました。
戦争の不条理と残酷さを体験した沖縄県民は、何をおいても命こそが大切であるという「命(ぬち)どぅ宝」の思いを胸に、戦争のない、平和な世の中を希求する「沖縄のこころ」を強く持ち続けています。
戦後、沖縄は27年に及ぶ米軍統治を経て、念願の本土復帰を果たしました。沖縄県民、そして多くの関係者の尽力により、現在、沖縄は国内外からの多くの観光客でにぎわうなど、大きな発展を遂げつつあります。
その一方で、戦後72年を経た今日においても、この沖縄には依然として広大な米軍基地が存在し、国土面積の約0・6%にすぎない島に、米軍専用施設面積の約70・4%が集中しています。
復帰すれば基地負担も本土並みになるという45年前の期待とは裏腹に、いまだに私たちは、米軍基地から派生する事件・事故、騒音・環境問題などに苦しみ、悩まされ続けています。
沖縄県は、日米安全保障体制の必要性、重要性については理解をする立場であります。その上で、「日本の安全保障の問題は日本国民全体で負担をしてもらいたい」と訴え、日米地位協定の抜本的な見直しや米軍基地の整理縮小などによる、沖縄の過重な基地負担の軽減を強く求め続けています。
しかし、昨年起こった痛ましい事件の発生、オスプレイの墜落をはじめとする航空機関連事故の度重なる発生、嘉手納飛行場における米軍のパラシュート降下訓練や相次ぐ外来機の飛来、移転合意されたはずの旧海軍駐機場の継続使用の問題などを目の当たりにすると、基地負担の軽減とは逆行していると言わざるをえません。
特に、普天間飛行場の辺野古移設について、沖縄の民意を顧みず工事を強行している現状は容認できるものではありません。
私は辺野古に新たな基地を造らせないため、今後も県民と一体となって不退転の決意で取り組むとともに、引き続き、海兵隊の削減を含む米軍基地の整理縮小など、沖縄の過重な基地負担の軽減を求めてまいります。
国民の皆様には、沖縄の基地の現状、そして日米安全保障体制の在り方について一人一人が自ら当事者であるとの認識を深め、議論し、真摯(しんし)に考えて頂きたいと切に願っています。
一方、世界では、依然として地域紛争や、人権侵害、難民、飢餓、貧困、テロなどが人々の生活を脅かしており、また、国際情勢はめまぐるしく変化し、予断を許さない状況にあります。
今こそ世界中の人々が民族や宗教の違いを乗り越え、協力して取り組んでいくことが求められています。
今年は、日本国憲法が施行されて70周年、沖縄県に憲法が適用されて45周年になりますが、この節目に、憲法の平和主義の理念を再確認し、私たち一人一人が世界の恒久平和を強く願い求め、その実現に向け努力を続けなければなりません。
先日お亡くなりになった大田昌秀元沖縄県知事は、沖縄が平和の創造と共生の「いしずえ」となり、再び戦争の惨禍を繰り返さないことの誓いとして、敵味方の区別なく沖縄戦で命を落とされたすべての方々を追悼する「平和の礎(いしじ)」を建立されました。
私たちは、沖縄に暮らす者として、この「平和の礎」に込められた平和の尊さを大切にする想(おも)いを次世代へ継承するとともに、未来を担う子や孫のため、安全・安心に暮らせるやさしい社会、いつまでも子ども達(たち)の笑顔が絶えない豊かな沖縄の実現に向けて、絶え間ない努力を続けてまいります。
慰霊の日に当たり、戦争の犠牲になった多くの御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、平和を希求する沖縄のこころを世界へ発信し、恒久平和の実現に向け取り組んでいくことをここに宣言します。
2018年翁長雄志知事の平和宣言全文
二十数万人余の尊い命を奪い去った地上戦が繰り広げられてから、73年目となる6月23日を迎えました。
私たちは、この悲惨な体験から戦争の愚かさ、命の尊さという教訓を学び、平和を希求する「沖縄のこころ」を大事に今日を生きています。戦後焼け野原となった沖縄で、私たちはこの「沖縄のこころ」をよりどころとして、復興と発展の道を力強く歩んできました。しかしながら、戦後実に73年を経た現在においても、日本の国土面積の約0.6%にすぎないこの沖縄に、米軍専用施設面積の約70.3%が存在し続けており、県民は、広大な米軍基地から派生する事件・事故、騒音をはじめとする環境問題等に苦しみ、悩まされ続けています。
昨今、東アジアをめぐる安全保障環境は、大きく変化しており、先日の、米朝首脳会談においても、朝鮮半島の非核化への取り組みや平和体制の構築について共同声明が発表されるなど緊張緩和に向けた動きがはじまっています。
平和を求める大きな流れの中にあっても、20年以上も前に合意した辺野古への移設が普天間飛行場問題の唯一の解決策と言えるのでしょうか。日米両政府は現行計画を見直すべきではないでしょうか。民意を顧みず工事が進められている辺野古新基地建設については、沖縄の基地負担軽減に逆行しているばかりではなく、アジアの緊張緩和の流れにも逆行していると言わざるを得ず、全く容認できるものではありません。「辺野古に新基地を造らせない」という私の決意は県民とともにあり、これからもみじんも揺らぐことはありません。
これまで、歴代の沖縄県知事が何度も訴えてきたとおり、沖縄の米軍基地問題は、日本全体の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべきものであります。国民の皆様には、沖縄の基地の現状や日米安全保障体制の在り方について、真摯(しんし)に考えていただきたいと願っています。
東アジアでの対話の進展の一方で、依然として世界では、地域紛争やテロなどにより、人権侵害、難民、飢餓、貧困などの多くの問題が山積しています。世界中の人々が、民族や宗教、そして価値観の違いを乗り越えて、強い意志で平和を求め協力して取り組んでいかなければなりません。かつて沖縄は「万国津梁(しんりょう)」の精神の下、アジアの国々との交易や交流を通し、平和的共存共栄の時代を歩んできた歴史があります。
そして、現在の沖縄は、アジアのダイナミズムを取り込むことによって、再び、アジアの国々を絆(つな)ぐことができる素地ができてきており、日本とアジアの架橋(かけはし)としての役割を担うことが期待されています。
その期待に応えられるよう、私たち沖縄県民は、アジア地域の発展と平和の実現に向け、沖縄が誇るソフトパワーなどの強みを発揮していくとともに、沖縄戦の悲惨な実相や教訓を正しく次世代に伝えていくことで、一層、国際社会に貢献する役割を果たしていかなければなりません。
本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全ての御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、恒久平和を希求する「沖縄のこころ」を世界に伝え、未来を担う子や孫が心穏やかに笑顔で暮らせる「平和で誇りある豊かな沖縄」を築くため、全力で取り組んでいく決意をここに宣言します。