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玉城デニー沖縄県政下で失われた3つの命と向き合わない左翼

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沖縄県知事選挙も終盤に差し掛かり、情勢はかなり見えてきた。このままいけば古謝氏が優勢との見方が強まり、一部では「圧勝」の声すら聞かれ始めている。

知事選のように全国の注目が集まる時期には、さまざまな情報が飛び交い、議論も一気に熱を帯びる。しかし選挙が終われば、何事もなかったかのように静けさが戻ってくる。沖縄の問題は再び沖縄内部だけの話題となり、しかもその議論自体が先細っていく。

だからこそ今、辺野古をめぐる過激な反対運動について、あらためて考えてみたい。

辺野古の埋め立てに反対する抗議活動では、これまでに4人が命を落としている。そのうち3人は、玉城デニー県政下での出来事だ。ひとりは2024年、安和桟橋で土砂搬入を阻止しようとする抗議活動中に。残る2人は、今年3月の抗議船転覆事故によるものである。

まず大前提として、キャンプシュワブ前や辺野古沖での抗議活動そのものが違法行為だという点は動かない。この違法行為を歴代の知事は事実上黙認してきた。それは玉城知事に限った話ではなく、仲井真知事の時代も同様だった。ただし、抗議活動は年を追うごとに過激化してきているのが実情であり、その延長線上に死者が出ていると見るべきだろう。かつて幅広い層を取り込んでいた「オール沖縄」から民間企業などが離れ、共産党をはじめとする左派政党・団体が運動の中心となっていった。その中には中核派のような過激派も含まれているとされ、これが運動全体の先鋭化を後押ししてきたのではないかと推測される。

もちろん、死者が出たことに玉城知事が直接関与しているわけではない。しかし、辺野古反対を明確な政治的立場として掲げ、それを一丁目一番地の政策としてきた知事のもとで、まさにその「辺野古」で人命が失われている。にもかかわらず、玉城知事はなぜ過激化する反対運動に歯止めをかけようとしないのか。少なくとも、安和桟橋での事故を受けて何らかの対策を講じるべきだったはずだ。

知事という権力を持ち、辺野古反対運動の象徴的存在でもあるならば、違法行為や危険な行為を慎むよう自らの支持者・支援者に呼びかけることもできたはずだ。それどころか、ガードレールの設置すら行われず、高校生が犠牲になった後も抗議活動が再開されているのに、目立った対応は取られていない。

知事が誰であろうと、違法行為があればそれを正すのは行政の長としての本来の役割のはずだ。

玉城知事の支持者だけでなく、政治的にはまったく関係のない一般市民が2人も亡くなっている。それにもかかわらず、県知事として実質的な対策を取らないというのは、尋常なことではない。

さらに言えば、辺野古反対の立場を取る政党や団体、沖縄の地元メディアも、この状況を自ら正そうとする動きを見せていない。人が亡くなっているにもかかわらず、である。この異常な状態は、いったいいつまで続くのだろうか。

念のため断っておくが、辺野古移設への反対運動そのものをやめろと言っているのではない。ただ、この異常な状態は一刻も早く止めるべきだと言いたいのだ。そうしなければ、同じ悲劇が繰り返されかねない。

今年3月に亡くなった武石知華さんのご両親は、同じ事故を二度と起こさないようにと、さまざまな形で訴えを続けている。しかし、その根底にある過激な反対運動のあり方そのものを改めない限り、悲劇はまた繰り返されるだろう。

玉城デニー知事が過激化する抗議活動を事実上放置してきたことは、率直に言って擁護のしようがない。「人柄がいい」という評判が支持者やメディアから流れてくることがあるが、人が亡くなっても実質的な対応を取らないというのは、人柄うんぬん以前の問題だ。知事という権限を持ちながら、その責任を果たしていないと言わざるを得ない。

次の知事には、違法行為をきちんと取り締まってほしい。そして、過激化した抗議活動の内部からも、自浄作用が働くことを切に願う。「政府が工事を進めるから過激な抗議をせざるを得ない」という主張も、成り立たない。それが違法行為である以上、正当化の理由にはならないからだ。

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