沖縄県知事選挙において、玉城デニー氏は古謝陣営に対して約14万票という大差をつけられて敗れた。この結果は、玉城氏本人や陣営関係者だけでなく、日本の革新・左派勢力全体にとっても衝撃的な出来事だったと言えるだろう。
前回の記事では、今回の古謝陣営の勝利について、自民党の本気度がうかがえる選挙戦であったと指摘した。
地元・沖縄でこの選挙戦を見ていると、玉城陣営の戦い方には明らかに焦点のずれが見られた。加えて、選挙戦に入るまでの県政運営に対する批判も根強く、そのマイナスイメージを最後まで払拭できなかったことが、大敗の大きな要因になったと考えられる。
「オール沖縄」の看板を下ろした代償
玉城氏自身が語っていたように、「オール沖縄」を前面に打ち出すほど批判の的になりやすいという判断から、陣営はこの看板を意図的に外した。しかし、これによって基地反対を支持する層からは、姿勢が曖昧になったと受け止められてしまった。無党派層や政治への関心が薄い有権者にとっても、聞き慣れた「オール沖縄」という言葉があったほうが、立ち位置がわかりやすかったはずだ。
一方で古謝氏支持層からは、都合よく看板を下ろしたに過ぎないという批判も上がっていた。「オール沖縄」を強調しすぎることがマイナスイメージにつながるという判断自体は理解できるものの、それを唐突に取り下げたことは、リベラルに親和的な一般県民にとって違和感の残る決断だったのではないか。
高齢層への過信という誤算
左派・革新系を支持してきた高齢層がさらに高齢化するにつれて、その系統の選挙基盤は全国的に縮小し続けている。沖縄も例外ではなく、この構造的な変化への対応は難しかったはずだ。
年齢層別の詳細なデータはまだ出そろっていないが、出口調査などの報道を見る限り、高齢層の票はある程度確保できていたようだ。ところが60代前後の層になると票数を落としており、かつて50代の頃に保守を支持していた世代がそのまま年齢を重ねてきたことが、はっきりと表れている。この層の票の減少を補いきれなかったことは否めない。この穴を埋めるのが容易でないことは理解できるが、どこかで明確にこの票を固める戦略が必要だったのではないだろうか。
経済公約で古謝陣営と同じ土俵に立ってしまった
現職知事という立場に加え、辺野古の転覆事故の影響で出馬表明が遅れたことにより、選挙戦への準備は古謝陣営に対して大きく後れを取っていた。そのためか、玉城陣営は古謝陣営が掲げた経済政策に対抗しようとするあまり、同じ土俵に乗ってしまい、公約における独自色を打ち出せなかったように見て取れる。経済、雇用、福祉といった県民生活に直結する政策では、両陣営に大きな違いは見られなかった。
本来であれば、基地問題や「平和」というテーマでリベラル層への訴求もある程度は強めるべきだったのではないか。また、経済政策を訴えたところで、「この8年間でできなかったことを、選挙になってから公約として掲げているだけではないか」という冷めた見方をされてしまったのも事実だろう。
知事としての実績としてアピールされていた各種の「無償化」政策なども、時代の流れに沿ったものであり、誰が知事であっても同様の施策を行っていた可能性が高い。経済や観光の振興、税収増なども実績として挙げられていたが、これらは玉城氏個人の政策というより国の政策や過去の知事の影響が大きく、自身の成果として強調することに県民は違和感を覚えたのではないか。加えて、これらの施策を経ても県民生活が目に見えて向上したとは言い難く、本人のアピールと県民の実感との間に大きな乖離があった。
「無所属」戦略の空回り
今回、玉城陣営は公式な政党推薦を受けずに「無所属」であることを打ち出して選挙戦に臨んだ。しかし古謝陣営には自民党を筆頭に、維新、参政、国民民主、保守、公明といった政党名が並んでおり、対照的に玉城氏を実質的に支えているのは日本共産党、社民党、立憲民主党といった左派政党であることは誰の目にも明らかだった。結果として、「政党のしがらみのない無所属候補」というイメージは有権者にほとんど響かなかったと思われる。
「左派」というイメージにとどまらない立憲民主党が主軸であれば、もう少しリベラル層を取り込めた可能性はある。しかし玉城氏を支える中心的な支持母体は、以前にも増して日本共産党色が強まっており、共産党との距離を置きたいリベラル層の離反を招いた面もあるのではないか。加えて、立憲民主党の一部が公明党と「中道」を結成したが、春頃から問題が表面化しはじめ、県知事選挙では完全に元公明と元立憲とで分裂。これによって本来得られた硬い票を少なからず逃してしまったことは、玉城陣営にとって痛手となった。
県議会での対応が生んだマイナスイメージ
今年に入ってからの県議会における対応は、玉城氏にとって大きなマイナスイメージとなっていた。そこに辺野古の転覆事故が重なったことで、それらの問題が一気に広く拡散される結果となった。
県議会ではワシントン事務所問題をめぐる百条委員会が続き、その前には安和桟橋での死亡事故について、改善を求める自民党議員による追及が行われていた。しかし、これらは地元メディアではほとんど報じられず、一部の保守系の間でネット上で共有される程度にとどまっていた。ところが辺野古の事故が発生したことで、こうした県議会でのやり取りが一気にネットを通じて広く有権者の知るところとなった。
ワシントン事務所問題については、資料が見当たらないといった説明に終始し、実質的に説明責任から逃れる姿勢が目立った。安和桟橋の事故に関しても、玉城知事は自ら支援を受ける基地反対派からの批判を恐れてか、ガードレール設置などの対策をことごとく拒み、さらには事故映像の確認すら拒否していたことが、辺野古事故に付随してネットで広まってしまった。
当初、玉城氏は辺野古の事故について知事として直接関与する立場になく、第三者的な態度を取っていた。しかし一方で、沖縄県は修学旅行における平和教育の誘致に積極的であり、その広報サイトには過激な左派的立場の人物の名前が掲載されているなど、県政として事故に対して他人事のような姿勢を取っていることが浮き彫りとなり、知事への違和感がいっそう強まる結果となった。
それに加えて、辺野古反対運動をしている中核メンバーの中に、様々な危険な団体や中国共産党との繋がりのある人物などの情報も拡散されていったもとも、玉城陣営へのイメージを悪化させていった。
SNS批判が招いた逆効果
選挙戦後半になると、玉城陣営と地元メディアが足並みをそろえるようにSNS上の誤情報拡散を批判する動きが強まった。厳密に見れば確かに一部誤った情報も含まれていたが、それ以外の多くは概ね事実に基づくものであったり、これまでの玉城氏本人や支援団体・支援者の言動から十分に推察できる内容だった。
SNSから情報を得ている多くの人は、そもそも情報の真偽を自分なりに精査した上で判断している。そうした人々にとっては、SNSで情報を得ていること自体を批判されているように感じられ、かえって玉城氏離れを加速させたように見える。地元紙によるファクトチェック記事が出るたびに、結果的に玉城氏に不利な情報がさらに拡散されるという皮肉な展開も見られた。
以前の記事でも触れたが、地元メディアが長年にわたり保守系の言論をほとんど取り上げてこなかった反動として、こうした局面でネット上の保守言論が一気に噴出する構図がある。この点については、地元メディア側の責任も小さくないだろう。
SNSを批判するだけでは、この流れを止めることは難しい。むしろ、SNSで何が発信されているのかを分析し、事実と誤情報を切り分けたうえで、県民に直接説明していくことが必要だったのではないだろうか。
まとめ
以上のように、今回の敗因にはさまざまな要因が重なっていたと考えられる。そのいずれについても、事前に対策を講じ、指摘があった際に県民へきちんと説明する姿勢を示していれば、ここまでの大敗は避けられたのではないだろうか。玉城デニー氏の人柄が良いことは多くの県民が知るところだ。しかし、一連の流れの中で、人柄ではなく、誠実さが欠落しているように感じていた人も多かったのでなかったのか。
翁長雄志氏から受け継がれた「オール沖縄」という枠組みは、8年の間に支持勢力が絞り込まれ、かつてのような求心力はすでに失われている。辺野古反対以外に目立った基地反対の行動を示せず、リベラル層からも疑問の声が上がる中、県経済についても生活実感を伴う向上が見られなかった。「この8年間、いったい何をしてきたのか」という問いこそが、今回の選挙結果に集約されているように思う。
