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玉城デニー知事を振り返る─「知事の器ではなかった」

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玉城デニーという知事を考えてみた

いよいよ明日、沖縄県知事選の投開票日を迎える。今の情勢を見る限り、古謝氏が次期知事となることはほぼ確実だろう。一部では圧勝との予想もあり、肌感覚としても頷ける。玉城氏の最大の支持層であるはずの年配層からも古謝氏支持の声が聞かれ、若年層の投票率もわずかに上昇しているとの情報がある。玉城氏にとって取りこぼした票は少なくないはずだ。

古謝氏が当選した後にこれを書くと、負けた陣営への悪口のようになり見苦しい。だからあえて開票前の今、投稿しておく。もっとも、このタイミングでの投稿自体、ある種の嫌味であることは自覚している。
また、あくまで個人の感想だ。憶測も含まれる。

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柔軟か、根無草か

玉城デニー氏という人物には、一貫した政治姿勢や理念があまり明確ではなかったように感じている。よく言えば柔軟、悪く言えば根無草だ。

2002年、ラジオパーソナリティーだった玉城氏は、リスナーの声や地域課題に直接応えたいとの思いから、無所属で沖縄市議会議員選に出馬しトップ当選した。2005年の衆院選には民主党公認で出馬するも落選。2009年の政権交代の波に乗って衆院議員に初当選し、以後4期を務めた。そして2018年9月、沖縄県知事に就任(2期目)。

なお、民主党政権下で辺野古を容認したから玉城氏も容認した、というネット上の言説は不正確だ。彼は与党議員でありながら政府方針に異を唱え続け、辺野古反対の立場を一貫して貫いてきた。

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翁長氏の後継として

その後、翁長雄志氏の後継者として知事選に臨む。辺野古反対を貫いてきた実績が、翁長氏からの後継指名につながったのだろう。

ただ、個人的な印象として、玉城氏が「知事」という重責を自ら担う覚悟を固めた上で立候補したのかは疑問が残る。当時は指名を受け、周囲に持ち上げられる形で出馬したような印象があった。

翁長県政の頃、オール沖縄には民間企業も含む幅広い層が参加していたが、玉城県政下では共産党など左派色が強まり、多くの民間企業・団体が離れていった。玉城氏はいつしか「オール沖縄を率いる立場」から「オール沖縄に支えられる立場」へと変わっていったように見える。政府相手の訴訟も全て敗訴し、法的な打つ手を失った結果、ただ「辺野古反対」を訴えるだけの知事になっていった。

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転機となった二つの事故

決定的だったのは、一昨年の安和桟橋での警備員死亡事故、そして今年の辺野古抗議船転覆事故への対応だ。

安和桟橋の事故では、当時の監視カメラ映像を見ようとせず事実関係と距離を取り続け、ガードレール設置すら最後まで行わなかった。支援者側であっても人命が失われた以上、何らかの対策を講じるのが知事としての務めのはずだ。映像を確認して何もしなければ批判の的になり、ガードレールを設置すれば反対運動側から反発を受ける——そうした板挟みを恐れ、オール沖縄側の圧力に配慮した結果ではないかと見ている。

辺野古転覆事故についても、玉城氏本人に直接の関係はないとしても、修学旅行誘致や平和教育を推進する立場の県として、事故後速やかに遺族への謝罪や面談を行うのが常識的な対応だろう。しかしそれも行われなかった。この点を批判するメディアもほとんどなく、結果として知事の対応の異常さが問われないまま時間だけが過ぎた。

知事とは県内で最も権力を持つ立場であり、その権力を政府に対しては振りかざす一方、県内の問題には振りかざさず、支持者や支援団体の顔色をうかがい続けていたように感じる。

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辞めるに辞められなかったのでは

辺野古事故以降、玉城氏自身、知事職から離れたいと考えていたのではないかとも想像する。ただ、退任すれば「辺野古反対運動の重鎮」として担ぎ出される可能性もあり、辞めるに辞められず、今回の出馬に至った可能性もある。
もちろんオール沖縄としての候補者がいないことが最大の玉城氏の出馬の理由だろう。候補がいても過激な活動家しか残っていないのが今のオール沖縄の現状であるからだ。

知事という器ではなかった

そもそも玉城氏は知事職に向いた人物ではなかったのだろう。今回の選挙戦で訴えている実績の多くは、経済全体の流れによる好況や税収増に過ぎず、給食費無償化なども時代の流れをなぞっただけで独自の政策とは言い難い。しかも給食費無償化は唐突に打ち出したため一部市町村から批判を招いた。これは、調整能力の欠如と権力の使い方の誤りを示す例だろう。さらに2024年の本島北部豪雨災害では対応の遅れから国の支援を受けられなくなっており、これも知事としての責任は重い。
県民の財産、そして命を守ることができない、しようとしない人が知事であることは沖縄県民として不幸でしかない。

人柄と器は別物

玉城デニー氏の人柄自体は悪くないのだろう。しかし、安和桟橋でも辺野古でも人命が失われながら対策を講じず、災害時には対応が遅れ、県民の財産を守れなかった。そしてそうした県政の体制を作り上げたのも本人である。地元メディアが必要以上の責任追及を行わなかったことで、玉城氏のイメージは最後まで保たれたが、事実だけを見れば、知事職を担うにふさわしい器ではなかったと言わざるを得ない。

今後、政治の道を続けるのか、地元メディア等で活動するのかは分からないが、「元知事」として今後も辺野古反対派に利用され続けるのではないかと懸念している。

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