沖縄の左派・リベラル勢力は、ことあるごとに「命どぅ宝」という言葉を掲げる。うちなーぐちで「命こそ宝」を意味し、命の尊さを説く沖縄の黄金言葉(くがにかとぅば)として、最も大切にされてきた言葉のひとつだ。
玉城デニー氏もまた、県知事選において「誰一人取り残さない沖縄を」と繰り返し訴えている。
しかし、その言葉と現実との間には、大きな乖離があるのではないか。
「命どぅ宝」と唱えながら、辺野古反対運動をめぐっては、これまでに4人の命が失われている。
- 2014年、抗議船のロープが切れた事故で1名
- 2024年、土砂搬入阻止の抗議活動中に1名
- そして今年、辺野古での転覆事故で2名
このうち2名は運動に参加していた側の当事者であり、残る2名は直接抗議に関わっていなかった人だ。
冷静に考えれば、これだけの命が失われてもなお、過激さを増す反対運動が続いていること自体、異常な事態と言わざるを得ない。何度でも言う。これは異常なことだ。
そして、その実態を事実上黙認し続けているのが、玉城デニー知事である。
玉城氏は今回の知事選でも「誰一人取り残さない沖縄を」を掲げている。この言葉は本来、辺野古問題とは直接関係なく、全県民を守るという趣旨で使われているものだろう。しかし、目の前で人の命が失われている状況を黙認しているとすれば、それはスローガンの是非以前の問題だ。
自らの支持層が担う過激な反対運動によって死者が出ているのであれば、それを抑制する立場に立つのが本来の知事の役割ではないか。
県議会では、土砂搬入用トラックの出入り口が危険だとして、ガードレール設置を求める提案が出されている。それでもなお、反対運動団体への配慮からか、設置は見送られたままだ。
こうした対応を続ける人物が知事の座にあること自体、異常だと感じる。
最近強く思うのは、玉城デニー知事は基地反対運動の意向に従っているだけなのではないか、ということだ。「人柄が良い」「優しい」といった評価が先行しがちだが、人柄以前に、人の命を守れない・守ろうとしない知事が、どの立場で「誰一人取り残さない沖縄を」と語っているのか。疑問しか残らない。
人の命が失われても放置される——そんな異常な状況を生み出しているのが、今の沖縄の姿であり、そのトップに立つのが玉城デニー知事である。
今回の知事選で玉城氏が落選したとしても、この経緯や実態は沖縄が抱えた異常な歴史として、忘れてはならないと思う。
