沖縄県知事選挙が告示され、連日、激しい選挙運動が繰り広げられている。朝から夕方まで、何度も何度も家の周辺を選挙カーが走り回る。正直なところ「ちょっとうるさいな」と思うこともあるが、選挙期間中のことなので、こればかりは致し方ない。
そんな中、玉城デニー知事への支持を訴える選挙カーから、何度も聞こえてきた言葉がある。
「もう二度と戦争をさせない」
自民党政権や保守勢力を批判する文脈で繰り返される、いわば左派政治の定番ともいえるフレーズだ。
しかし、これを聞いていて、ふと疑問に思った。
「いったい、誰が戦争をさせようとしているのだろう?」
「戦争をさせない」と言うだけでは、現実の安全保障は語れない
もちろん、自民党を中心とする保守勢力が、防衛力の強化を進めていることは事実だ。
しかし、それは基本的には「戦争をするため」ではなく、戦争を仕掛けられないための抑止力を高めることを目的としている。
もし現在の日本が、すでに中国やアメリカ、ロシアを上回る軍事大国となっていて、周辺国にミサイルを向け、軍事力を背景に他国を威嚇しているという状況なら、「軍備をさらに強化する必要があるのか」と疑問を持つのも理解できる。
だが、現実の日本はそうではない。
日本は核兵器を保有しておらず、核兵器を含む軍事力で圧倒的な優位に立っているわけでもない。
さらに、国際情勢も大きく変化している。
中国の軍事力が拡大し、ロシアによるウクライナ侵攻が続き、北朝鮮による核・ミサイル開発も進んでいる。
そして、アメリカも以前のように「当然のように日本を守ってくれる」と単純に考えられる時代ではなくなりつつある。
そうした現実を考えれば、日本が防衛力を強化することを、ただちに「戦争をするための準備」と結びつけるのは、少し無理があるのではないだろうか。
「もう二度と戦争をさせない」という言葉への違和感
もちろん、「もう二度と戦争をさせない」という言葉そのものを否定するつもりはない。
沖縄は第二次世界大戦で激しい地上戦を経験した地域であり、戦争の悲惨さを語り継ぐことには大きな意味がある。
しかし問題なのは、この言葉が現在の政権や自民党、保守勢力を批判するための政治的なフレーズとして使われている場合だ。
「軍備を強化する」
↓
「戦争をするつもりだ」
↓
「だから戦争をさせてはいけない」
このような単純な論理になってしまうと、現実の安全保障を議論することが難しくなる。
むしろ、「戦争が起こるかもしれない」「政府が戦争を始めようとしている」と繰り返し訴えることによって、必要以上に戦争への恐怖を煽ってしまう可能性すらある。
「戦争をさせない」という言葉が、結果的に「戦争が始まるぞ」と不安を煽る材料になっていないか。
私はそこに違和感を覚える。
平和を守るために「外交」だけで十分なのか
もちろん、戦争を避けるために外交や対話が重要であることに異論はない。
戦争にならないように外交努力を続けることは、当然必要だ。
しかし、「外交と話し合いさえ続ければ平和を維持できる」という考え方だけでは、現在の国際社会を十分に説明できないのではないだろうか。
外交は、相手国も話し合いに応じるという前提があって初めて成立する。
相手が武力による現状変更を選択した場合、それを止めるためには外交だけでなく、「攻撃しても得をしない」と相手に思わせる抑止力も必要になる。
平和を守るために、防衛力を整備する。
これは必ずしも「戦争をしたい」ということと同じではない。
むしろ、戦争を避けるための手段として軍事的な抑止力を考えることも必要なのは当然の時代である。
私は「左派やリベラル」が不要だとは思わない
私は、左派やリベラルという政治勢力そのものが不要だとは思っていない。
むしろ、政治にはさまざまな考え方が存在するべきだと思っている。
保守勢力だけが強くなりすぎ、極端な方向に走れば、それはそれで危険だ。
特に最近の保守勢力の中には、国家や社会を一つの方向にまとめようとする、ある種の全体主義的な傾向を感じることもある。
だからこそ、本来はリベラルや左派が政治の中で一定の役割を果たすことには意味がある。
しかし、今の既存リベラルは個人の個性を重要視しているはずなのに、全体主義に進む政府のあり方は黙認している。
完全に時代から取り残されていて、その主張が時代の変化に対応できているのかということだ。
現在の日本では、参政党や日本保守党など、新しい保守勢力が登場している。
一方、リベラル側でも、れいわ新選組など、既存政党とは異なる勢力が存在感を高めている。
それにもかかわらず、既存の左派勢力から聞こえてくる言葉には、どこか1970年代の安保闘争の時代から変わっていないように感じるものもある。
「軍備反対」
「戦争反対」
「話し合いで解決」
もちろん、これらの理念そのものを否定する必要はない。
しかし、「では、現実に日本をどう守るのか」まで踏み込んだ議論がなければ、政治的な説得力を持つことは難しい。
沖縄の左派・リベラルは、このままでいいのか
沖縄は、全国的に見ても左派・リベラル勢力が強い地域の一つだ。
しかし、その沖縄でも、社民党や日本共産党など、かつて大きな存在感を持っていた政党の勢力は弱まりつつある。
これは単純に「沖縄県民が右傾化した」という話だけではないと思う。
むしろ、これまでの左派政治の主張が、現在の沖縄県民が抱えている現実や不安に十分答えられているのかという問題だろう
中国や台湾をめぐる安全保障環境、北朝鮮のミサイル、沖縄の離島防衛、経済、観光、人口減少など、沖縄が考えなければならない問題は多い。
その中で「戦争反対」「基地反対」「外交で解決」と繰り返すだけでは、若い世代を含めた有権者に響かなくなっていくのも無理はない。
「戦争反対」から、その先の議論へ
戦争を経験した沖縄だからこそ、「二度と戦争を起こしてはいけない」という思いは大切にしたい。
ただし、そこから先の議論も必要だ。
どうすれば戦争を防げるのか。
外交なのか。
防衛力なのか。
日米同盟なのか。
あるいは、それらを組み合わせるのか。
こうした問題について、現実的な答えを示していく必要がある。
「もう二度と戦争をさせない」という言葉を選挙で繰り返すだけでは、平和を実現する方法論にはならない。
そして皮肉なことに、「戦争が始まるぞ」「政府が戦争を始めようとしている」といった危機感ばかりを強調すれば、平和を訴えているはずの側が、結果として戦争への恐怖を煽ることにもなりかねない。
戦争反対を叫ぶだけではなく、「戦争を起こさせないためには何が必要なのか」を議論する。
沖縄のリベラル・左派勢力がこれからも政治的な存在感を維持していくためには、そろそろそうした議論へ踏み込む必要があるのではないだろうかと思う。
